Arlington National Cemetary

アーリントン国立墓地。1864年、南北戦争以来、現在までの戦没者、テロ犠牲者等がかなり広大な敷地内に葬られている。敷地内にある無名戦士の墓(Tomb of the Unknowns)の前では、定期的に衛視が警備する中、各戦役の戦士を悼む式典が行われる。合衆国海兵隊記念碑(Marine Corps War Memorial)は、アメリカ海兵隊戦没者を追悼する記念碑であり、あくまでも硫黄島を占領した事実を個別に記念するものではない。題材が象徴的な碑であるため、見る人によって大きく印象が異なるのは否めない。(Nov 2008)

National Portrait Gallery & Museum

ジャニス・ジョプリン
Theodore M. HesburgとM.L.K. Jr.
ベット・ミドラー
全米各州をテレビで象る
ジミー・コナーズ
D.C.には多くのMuseumがあるが、中でも気に入ったのがココ。馴染みの俳優、artist, musician 等、往年のポスターや絵画、写真がどっさり。もちろん、中にはまだ現役の方々もおられるが・・・。アメリカの一般的な暮らしを芸術で表現する作品も興味深いものが多い。(Nov 2008)
今にも動きそうな「ろう人形」

The National Air & Space Museum

国立航空宇宙博物館の展示物は圧巻である。いたるところに航空機や宇宙船の実機がある。ライト兄弟から最先端の宇宙科学、航空機開発などに関する展示が満載。当方のように、たとえこの分野に詳しくなくても、この迫力には圧倒される。興味がある方にはとんでもなく魅力的であるに違いない。(Nov 2008)
実験用宇宙ステーション「スカイラブ」



緊急金融サミット

世界的な経済不況について対策を協議する緊急金融サミットが米国の招聘で開催されるため、各国の要人が開催地D.C.に続々入ってきていた。警備もいたるところに。トウブハイイロリスがいるのに気がつきます?(Nov 2008)

FBI-連邦捜査局

9.11テロ以降、セキュリティーレベルが高まり、残念ながら立ち入りが禁止されていた。(Nov 2008)

Old Post Office Pavillion

1899年に郵政省として建築された。現在はショッピング・モールなどが入る複合施設。過去に解体の危機もあったが、市民運動により博物館的役割を持ちながら現存している。(Nov 2008)

Kennedy Center

ホールコンサートを2回も鑑賞できた。2回ともジャズだったが、うち1回はワシントン出身のピアニストDuke Ellingtonを讃えての地元ジャズオーケストラ演奏。彼が立ち上げたオーケストラは今も活動中である。(Nov 2008)

J.F.Kennedyの塑像


フォード劇場とリンカーン大統領

ピーターセン・ハウス内
アメリカ南北戦争で南軍が降伏後5日目、フォード劇場で演劇を観劇中のリンカーン大統領が、当時有名な俳優で南部を支援していたジョン・ウィルクス・ブースによって近距離から頭部を打ち抜かれた。リンカーンは劇場向かいのピーターセン・ハウスに運ばれたが死亡。ジョンは南部への10日間の逃亡と潜伏の後、騎兵隊に囲まれ命を落とした。(Nov 2008)

Washington Metro

お世話になったUSDA(Maryland州)への通勤では、ほぼ毎日これで通った。もちろん休日には有効に利用させてもらった。(Nov 2008)

晩秋のD.C.

Supreme Courtから地下鉄の駅に向かう道中で。(Aug 2008)

Supreme Court

National Capitalから徒歩数分で到着。米国司法最高峰にあたる場所。物々しい警備も全くない。ゆっくり階段を上がり扉に触れる。驚くほど人影が無い。これが日本であれば、用もないのに最高裁判所の扉まで自由に入れるはずはない。
米国建国の理由にもなったという、1215年イングランドで制定されたマグナ・カルタ(大憲章)の彫刻がある。(Nov 2008)

National Capital

Capital内見学ツアーに参加した。説明を聞きながら、じっくり見て回れる。歴代大統領や州政府知事の立派な肖像画や彫像が並んでいる。明るいロタンダも印象的。ドーム上にはFreedomと名付けられた女神像がある。外から見る全景はTV等で見慣れてはいたが、実物はかなり横に広い。ツアー案内待ちの間、ベンチの日だまりでおにぎりを頬張っていたところ、スズメの大歓迎を受けた。正面では2009年1月に行われる大統領就任式の準備が進められていた。(Nov 2008)
ツアー

女神像


Equal Justice Under the Law

D.C.には、過去の大戦に伴う、米国内の日系米国人強制収容所での苦難と差別に対する自由を訴えた「全米日系米国人記念碑」がある。
昭和17(1942)年、ルーズベルト大統領発布の大統領令により、西海岸居住の日系米国人12万人が理由もなく13ヶ所の強制収容所(キャンプ)に収容された。日系と言うだけで敵視され、戦争下では大統領、議会、最高裁により収容を正当化した。
米軍部は当時、日系人をアメリカ化のためのテストを行い、アメリカに忠誠を誓った者達3万人強が志願して戦場へ。欧州戦線でめざましい戦果を残した連隊は、後に多くの勲章を授与されたことも知られている。

収容所名とその人数
1988年、レーガン政権時、日系米国人に対して謝罪と賠償が行われ、記念碑に、
Here We Admit A Wrong Here We Affirm our commitment As A Nation to Equal Justice Under the Law:我々は過ちを認める。国として法のもとでは平等であることを断言すると記された。

これら事実があったことを知っておくべきで、必要に応じ後世に伝えていかなければならない。(Nov 2008)

謝罪の言葉

経緯

有刺鉄線が絡まり傷ついた2羽の鶴

Union Station

1908年完成の駅舎。DC名所の一つ。中央ホールも見事な造り。駅舎内はショッピング・モールになっている。駅前では秋の太陽を浴びる人も。(Nov 2008)