昭和17(1942)年、ルーズベルト大統領発布の大統領令により、西海岸居住の日系米国人12万人が理由もなく13ヶ所の強制収容所(キャンプ)に収容された。日系と言うだけで敵視され、戦争下では大統領、議会、最高裁により収容を正当化した。
米軍部は当時、日系人をアメリカ化のためのテストを行い、アメリカに忠誠を誓った者達3万人強が志願して戦場へ。欧州戦線でめざましい戦果を残した連隊は、後に多くの勲章を授与されたことも知られている。
収容所名とその人数 |
1988年、レーガン政権時、日系米国人に対して謝罪と賠償が行われ、記念碑に、
Here We Admit A Wrong Here We Affirm our commitment As A Nation to Equal Justice Under the Law:我々は過ちを認める。国として法のもとでは平等であることを断言すると記された。
これら事実があったことを知っておくべきで、必要に応じ後世に伝えていかなければならない。(Nov 2008)
謝罪の言葉 |
経緯 |
有刺鉄線が絡まり傷ついた2羽の鶴 |
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